1964年1月4日、サイモンはヒル夫妻への催眠療法を開始した。彼はベティとバーニーにそれぞれ数度にわたり催眠術をかけ、この診療は同年6月6日まで続いた。サイモンによる催眠療法はベティとバーニーをそれぞれ別にして行なわれ、お互いがどのような記憶を想起したのか分からないようにして実施された。
バーニーの診療
サイモンはまずバーニーに対する診療から開始した。彼の診療は感情的なものとなり、怒りや恐れの爆発、ヒステリックに泣きだすなどしてしばしば中断された。UFO遭遇の体験中、恐怖によってほとんど目を閉じていたのだとバーニーは述べている。診療の初期段階においてこうした反応が見られたため、サイモンはバーニーがこれ以上トラウマを抱えることなく診療のことを覚えていられるようになったと2人が確信できるまで、催眠療法のことは忘れた方がいいとバーニーに伝えた。
催眠状態のバーニーはまた、UFOから逃げようとして車へ向かって走ったときに双眼鏡のストラップが壊れたのだと報告した。彼は車でUFOから逃げ出したが、なぜか否応なく道を逸らされ、森に乗り入れさせられたことを思い出した。バーニーは森の中に6人の男たちが立っているをの発見した。運転しているバーニーに停車を命令して、男たちのうちの3人が車に接近してきた。彼らはバーニーに、われわれを恐れるなと命じた。しかしなお不安を拭い去れなかったバーニーに、「リーダー」は目をつむるように命令した。催眠中のバーニーは「眼を眼窩に押し込まれるような感じがした」と証言している (Clark, 284) 。
バーニーは、その生命体の姿をベティが記憶しているのとおおむね同じものだと述べた。しかしバーニーは、彼らの目はもっと大きく、側頭部に届きそうなほどだったと話している。その生命体はしばしば彼の目を覗き込み、非常に恐ろしく、しかし魅惑的な印象をバーニーに与えた。催眠状態のバーニーは「彼らは目だけで話しかけてくる」 (Clark 291) 、「自分に見えたのはその目だけだった……その目は体につながっていないのではないかとさえ自分は思わなかった。とにかく目だけがそこにあるんだ。それが私の方へ近づいてきて、私の目に押し迫ってきたんだ」 (Clark 291) といったようなことを話した。
バーニーの話によれば、彼とベティは円盤状の宇宙船に連れ込まれ、そこで2人は引き離された。小さな男3人に一室へ連れて行かれ、バーニーは長方形の診察台の上に横たわるよう命じられた。ベティとは異なり、検査に関するバーニーの話は断片的で、彼は検査中のほとんどは目を閉じていた。着衣を剥ぎ取られ、カップ状の装置が彼の性器にかぶせられた。バーニーはオルガスムを経験し、精液標本を採取されたのだと考えた。男たちは、彼の肌をこすり、耳と口を覗き込んだ。肛門に管かシリンダーを挿入された。誰かが彼の脊柱に触れ、椎骨の数を勘定しているように思われた。
ベティがその生命体と英語で幅広い話題にわたる議論をしたと証言しているのに対し、バーニーは彼には理解できない不明瞭な言葉で生命体が話しているのを聞いただけだと述べている。何度か彼らはバーニーに意思を伝えているが、これは「思考の移送」とでも言うべきものだったとバーニーは述べている(この当時、バーニーは「テレパシー」という言葉を知らなかった) (Clark, 285)。
バーニーは船から連れ出され、自分の車へ乗せられたことを思い出したが、このとき車は森の中よりも道路寄りに置かれていた。呆然としながら、彼は船が離れて行くのを見た。バーニーは路上に光が現われ、「何てこった、二度とごめんだ」と言ったのを記憶していた。ベティがこの光を月ではないかと推測したことを思い出したが、実際には数時間前に月は沈んでいた。
ベティの診療
ベティの催眠療法は、バーニーに比べて平穏に進行した。催眠下における彼女の証言は、頻発するUFO遭遇の夢とほとんど同じ内容であったが、2つの顕著な違いが見られた。催眠状態で思い出した「小さな男」は大きい鼻をしていなかったこと、また髪の毛がなく禿頭だったことである。
サイモンは、ベティに「星図」をスケッチするように提案したが、彼女は躊躇した。彼女が船で見たという三次元星図を正確に描くことは不可能だと思ったためである。しかし最終的に彼女はサイモンの提案を受け入れ、12の星々を特徴とした地図を描き上げた。
サイモン医師の結論
広範な催眠療法を経て、サイモン医師は、バーニーの語ったUFOとの遭遇譚はベティが繰り返し見ていた悪夢の内容に影響を受けて生じた幻想であると結論づけた。サイモンは、この仮説が彼らの経験のすべてを説明するというわけではないが、最も説得力と一貫性のある説明であると考えた。しかしバーニーはこの仮説を受け入れず、夫妻の記憶にはある程度連動している部分と、それぞれが独自の体験を語っている点があることに注意を促した。バーニーは、ベティほどではないものの、彼らはUFOの乗組員によって誘拐されたのだという考えを受け入れようとするようになった。
ヒル夫妻とサイモン医師は、事件の内容や性質については見解を一致させることがなかったが、催眠療法が効果的であるという点に関しては同意見であった。ヒル夫妻は、悪夢や再びUFOと遭遇する心配によって苦しめられることがなくなったのである。
その後、サイモン医師はヒル夫妻についての記事を学会誌『Psychiatric Opinion』誌に寄稿し、このケースは類例のない心理的異常であったという彼の結論を説明した。
催眠療法後の報道
ヒル夫妻は日常生活に戻った。夫妻はUFO遭遇事件について、友人や家族、時にはUFO研究者と論じ合いたがっていたが、明らかにそれを公表するための努力は払っていなかった。
しかし1965年10月25日、ある新聞記事がすべてを一変させた。『Boston Traveler』紙の1面にジョン・H・ラトレルによる記事「UFOの恐怖:夫婦を襲う? ("UFO Chiller: Did THEY Seize Couple?") 」 (Clark, 286) が掲載されたのだ。同紙の記者ジョン・H・ラトレルは、1963年初頭にクインシー・センターで行なわれたヒル夫妻の講演を録音したテープを入手していたのである。ラトレルはヒル夫妻がサイモン医師の催眠療法を受けていたことを知っており、さらに夫妻がUFO研究家から受けたインタビューの記録も入手していたのである。10月26日にはUPIがラトレルの記事を取り上げ、ヒル夫妻は国際的な注目を集めた。
1966年、作家のジョン・G・フラーは、ヒル夫妻とサイモン医師の協力を得て、この事件を『宇宙誘拐 ヒル夫妻の中断された旅 (The Interrupted Journey) 』という本にまとめた。この本には、ベティによる「星図」のスケッチも掲載された。この本は大ヒットし、またたく間に版を重ねた。
バーニーは、1969年2月25日、脳出血のために死亡した。46歳であった。またベティは2004年10月17日、一年以上にわたる闘病生活ののち、癌によって死去した[1]。85歳。
星図の「解読」
1968年、オハイオ州オーク・ハーバーの小学校教師でアマチュア天文学者だったマージョリー・フィッシュは、フラーの著書「宇宙誘拐 ヒル夫妻の中断された旅」を読み、そこに掲載されていた「星図」に興味を引かれた。フィッシュは、この星図を「解読」すればUFOがどの星系から来たかを確定できるのではないかと考えた。
星図の12の星の1つは太陽を示すに違いないと仮定したフィッシュは、星図と既知の星とを一致させることができるかもしれないと考え、星図を研究しはじめた。そしてこの研究の結果、ヒル夫妻を誘拐したUFOは、レティクル座ゼータ連星系をめぐる惑星の一つからきたのではないかとの仮説を立てた。このフィッシュの仮説により、この事件は「ゼータ・レティクル事件」と呼ばれることもあるが、大部分のUFO研究家は「ヒル夫妻誘拐事件」(ないしそれに類する表現)と呼ぶ。
フィッシュはその分析結果をウェッブに送った。彼女の結論に同意したウェッブは星図を『アストロノミー (Astronomy) 』誌の編集者テレンス・ディキンソンに送った。ディキンソンはフィッシュとウェッブの導き出した結論を支持することはなかったが、興味をそそられ、同誌の歴史の中ではじめてUFOに関する記事として採用し、意見や議論を募集した。その後約1年にわたり、『アストロノミー』誌の投稿欄には、フィッシュの星図に関する賛否入り乱れた議論が掲載された。中でも、「星図」と見えるものは偶発的な点をランダムに配列したものにすぎないとするカール・セーガンとスティーヴン・ソーターによる議論がよく知られている。
ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト
二人のドイツ人科学者KochとKyborgは、ベティが催眠状態で描いたこの星図に関する新たな仮説を提唱した。これは、1961年9月16日のアメリカ合衆国ニューハンプシャー州リンカーンの国道3号線における太陽系の惑星の位置関係を、異星人の宇宙船からの視点でヒル夫妻の目に映った様を描いたものだという。
『宇宙誘拐』
1966年に刊行された『宇宙誘拐 ヒル夫妻の中断された旅』でジョン・G・フラーは本件に関してより詳細な記事を載せている。同書の抜粋が『ルック(Look Magazine)』誌上に掲載されて『宇宙誘拐』は多くの版を重ね、ヒル夫妻は大変な有名人となった。
懐疑論者のあいだでは、ヒル夫妻の主張は、催眠術師がこうした出来事を信じているために診療にバイアスがかかって被験者に刷り込まれたものではないかという仮説が広く受け入れられている。これに関してバド・ホプキンズは、サイモン医師は夫妻の主張の真実性に対しては懐疑的であり、逆行催眠によって思い出したとされる夫妻の記憶は文字通りの事実ではないと述べたにもかかわらず、夫妻は自分たちが宇宙人によって誘拐されたという考えを翻すことがなかったことから、医師の先入見と夫妻の記憶内容に関連はないとしている (Hopkins, 218) 。
のちにベティは最初の誘拐以後もたびたびUFOを目撃したと証言し、「UFO業界における有名人になった」。
分析
後に一部の精神科医は、この宇宙人による誘拐(かもしれない)事件は、公民権法施行以前の、まだ人種差別が一部の州において合法であった1960年代初期のアメリカにおいて、白人のベティと黒人のバーニーが異人種間結婚した夫婦であることのストレスからくる幻覚ではないかという、人種差別的な説を示唆した[3]。ベティはこの指摘に対して、バーニーとの夫婦関係は良好であり、彼らは愛し合っていたこと、また他の家族や友人たちもそれを理解してくれており、なんの問題もなかったことを挙げて反論している。フラーの『宇宙誘拐』で指摘されているように、サイモン医師はヒル夫妻の結婚生活と彼らのUFO遭遇とは全く無関係であると述べている。
批評家は、催眠療法によってヒル夫妻に作話症(記憶と空想の混乱:催眠によって回復された記憶に信用が置けない事例があること)が生じた可能性を示唆している[要出典]。
1990年の記事「Entirely Unpredisposed」でマーティン・コットマイヤーは、バーニーが催眠下で行なった証言は、SFテレビドラマ『アウターリミッツ』の「宇宙への架け橋 ( The Bellero Shield ) 」というエピソードの影響を受けている可能性を示唆している。このエピソードは、バーニーが宇宙人について語った最初の逆行催眠診療(1964年2月22日)のおよそ2週間前(1964年2月10日)に放送されたもので、大きな目を持った地球外生命体(劇中ではビフロスト・エイリアン)が登場した。またその宇宙人は「目を見ればそこに言葉がある」といい、言語を介さないコミュニケーションを特徴とするなど、バーニーの語った内容はこの番組といくらか似通った筋書きであった(コットマイヤーの記事全文は外部リンクを参照)。ただしコットマイヤーは、そうした主張を展開するに際して、当時まだ存命だったベティに対して、夫妻がこの『アウターリミッツ』を見たかどうかを確認していなかった。別の研究者が『アウターリミッツ』についてベティに尋ねたとき、ベティは「そんな番組は聞いたこともない」と答えている (Clark, 291) 。そもそもバーニーは『アウターリミッツ』の放送時間である夕方にはいつも仕事に出ており、また夕方に在宅であった場合でも、夫妻はいつもNAACPやその他の地域活動に忙殺されていたため、そのエピソードを観ること自体がありえないとベティは強調した。
民俗学者トマス・E・ブラード博士は、『アウターリミッツ』のエピソード「宇宙への架け橋」とバーニーの話には類似点が多く、件のエピソードが催眠下のバーニーの記憶に影響を与えた可能性があることを認めつつも、彼はまたそういった類似点の説得力を弱めるいくつかの事実がある点にも注目している (Bullard, 15; included in Clark, 1998) 。第一に、バーニーが問題のエピソードを見たことが決定的に証明されていないこと。第二に、バーニーが催眠療法を受ける前から「抗しがたい眼力を持った存在がUFOの中から彼を見下ろしていたという明瞭な記憶を持っている」ことである (Bullard, 15; included in Clark, 1998) 。そして彼を見つめる存在とその目に関するバーニーの強迫観念は、このテレビ映像が放映される前から始まっていたこともブラード博士は強調している (Bullard, 15; included in Clark, 1998) 。
また他にヒル夫妻誘拐事件に対する新しい解釈を提案しているサイトも存在する。人間の生理学上ありふれてはいるが、あまり知られていない「驚愕反射」と呼ばれる特徴(および作話症)によってヒル夫妻の事件を説明しようとするものである